
日本における子宮頸がんワクチンの副反応について、ジャーナリストとして医師として客観的にまとめた書です

身体表現性障害という病気を、子宮頚がんワクチンの副反応としてしまうことにより、日本では子宮頚がんワクチンの接種率が極端に低くなってしまいました
思春期の女子特有の症状の原因をワクチンだと決めつけることにより、その「被害者」も母親も(気持ちが)救われるのです
そんな勘違い「被害者」と、ワクチンの副反応だと煽るマスコミや団体や一部の医師たちにより、この先子宮頚がんで苦しむ人々が日本で年間1万人、何とかならないのでしょうか?
私はワクチンに関して、すべてに肯定的ではありません
インフルエンザワクチンなどは効果もはっきりせず、怪しいと思っています
でも、この子宮頚がんワクチンの副反応については、はっきり言って副反応ではないでしょう
何かのせいにしたい人たちが、たまたまワクチンを打った後だったので都合よく結びつけただけなのです
この先、子宮頚がんワクチンの接種率が上がることを願っています

瀬戸内の島にある「ライオンの家」というホスピスを舞台にした物語です
癌で亡くなる最後の場所としてライオンの家へやってきた33歳の女性が主人公です
作者は、「死ぬのが怖くなくなるような物語を書きたい」とこの作品を書いたそうですが、読んでみて、死を身近に感じ、得体の知れない空間にいるような不安な気持ちになってしまいました
主人公がライオンの家にやってきたのは12月末、そして2月には亡くなっています
1人で電車に乗り船に乗り自分の脚で歩いてきたのに、それからわずかひと月と少しで亡くなってしまうのは哀しすぎます
ホスピスですから、長期滞在なんてあり得ないことはわかっているのですが、だんだんと命が消えていくことが怖いです
誰でもいつかは死ぬ
若い時に読んだのなら、全く違う感じ方をしたことでしょう

1977年1月に出版された梅原猛の本です。
画家・三橋節子の作品をその短い人生とあわせながら解説し、最期の時までを客観的にえがいた伝記とでも言うのでしょうか。
病気で右腕を失い、左手で描いた画が入選した節子、人々は再起といったが、梅原猛氏は、
「厳密にいえば再起とはいえない。なぜなら、右腕切断後のこの二作は、今までの節子の画よりはるかに優れているからである。全く新しい芸術の世界が、節子の前に、開け始めていたのである。再起どころか、節子は右腕を奪われることによってはじめて、真の芸術家になったのである」
亡くなる時の様子が、関係者の日記などを通して克明に記されている。こうして人は亡くなっていくのかと、しみじみ思う。

「オペラに興味があるのなら、本場で劇場に行くべきです。いや、行かねばなりません。本場で二つ三つ見てみれば、オペラがどんなものだかは何となく肌でわかるようになります。日本で100回、200回見に行っても、絶対にわからないことがわかるようになります。
何よりも、オペラが、昔の名作の再現なのではなく、今も生きていて熱いということがわかります。」

オペラ作曲家の四巨頭はモーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニだそうで、私が本場でみたオペラは4つ、偶然にもこの4人の作曲家のものでした。
みた順番に、プッチーニのトスカ、ワーグナーのワルキューレ、ヴェルディの椿姫、モーツァルトの魔笛です。
この選択、嬉しくなってしまいます。

東大女子ってカッコいいなあと思いますが、日本社会ではいまだに生き辛さがあるようで、社会全体としてもったいないと思います。

私は専門職ですが、就職してから10年くらいは、同じ職種の男性よりも下に見られていたと思います。「男の人はいないの?」と女の私では不足であると言わんばかりの対応が日常でした。今でこそ、「女の人がいいわ」といわれることも多い業界になりましたが。
能力に応じてというのか、適材適所というのか、それが自然だと考えます。男だからとか女だからとか、大日本帝国憲法下でもあるまいし。
「たしかに東大は、資金的にも人材的にも国内で最も恵まれた大学かもしれない。その恵まれた環境を求めて東大に行きたいと思う高校生が多いことは理解できる。しかし、偏差値がいちばん高いから東大に行くというのはいかがなものか。そのような考え方は、みんながいいと言うものを自分もほしい。という考え方でしかない。その姿勢のままでは常に世間の評価に振り回される人生を送ることになりかねない。」
子ども4人を理3に入れた佐藤ママに伝えたい。

図書館で予約、何ヶ月も待って、ようやく順番がまわってきました。
森見登美彦の新作「熱帯」です。

彼の作品の舞台は我が家のご近所なので、読みながら位置関係も映像付きで把握できます。そして独特のファンタジー。好きなんです。
今回はアラビアンナイト、千夜一夜物語がベースです。

夫に、熱帯の話をしたら、「持ってる」と言われました。左が図書館で借りた本、右が我が家にあった本。

来月パリへ行く予定で、しかも16区に泊まるので、ピッタリの本があると思い読んでみました。

いやー、これはセレブの自慢話か?
それなりの経歴の筆者のようですが、残念ながら内容に知性が感じられません。パリ16区がこのような感覚の場所であるのかどうか、行って確かめてきます。

第160回直木賞作品です。舞台は1952年から1972年の沖縄。瀬長亀次郎など実在の人物も登場し、知っているようで知らない沖縄の歴史をあらためて突きつけられたような気がします。そして作者は沖縄出身ではないというところも驚きです。
1972年5月15日、沖縄本土返還の日、当時中学生だった私、社会科の先生から沖縄の話があった後、学校が午後から休みになったことを覚えています。

この本の宣伝で、「少年少女は、警察官になり、教師になり、テロリストになった」とあったのですが、読んでみて、「警察官になり、教師になり、ゴロツキになった」のではないかと思いました。